『青森のせむし男』終演 主宰挨拶
いつのまにか12月。
もうすぐ寺山修司の誕生日ですね。
2月の公演に向けて本格始動する前に、
今一度、「青森のせむし男」に関わってくれた、気にかけてくれた、そしてあの場を共有してくださった方たちへ、心からありがとうございます。
シッペとして原点回帰を掲げた今年。
分岐点をうたった墓参り公演。
言うまでもなく、
原点というものは常につきまとうし、
いつだって挑戦で分岐点なはずです。
それをわざわざ宣誓するってことは、
見失っちゃいそうななにかとか、戦いきれなそうな自分とか、停滞とか焦燥とか、逆にでっかい変化とか……
そういうものが、あったのだろうなぁと、今になって思います。
ものづくりの愉しさとしんどさを改めて確かめることが出来た公演でした。
敬愛する寺山修司との喧嘩で、
折れずに食らいつくことが出来たのは、
演者スタッフ(の垣根が極端に少なかったのもハッピーだった、)座組のみなさん。
そして応援してくださった方たちひとりひとりの御蔭です。
今回、諸事情で残念ながらご一緒出来なかった大先輩の役者さんから、ご自分が一番大変なときにも関わらず、幕開けの際エールのメールをいただくということがありました。そのときの気持ちを自分は一生忘れない。いつも、だけど絶対に当たり前になることはなく、本当に有難いことに、たくさんのたくさんのひとたちの御蔭で作品を創っています。
愛されて生まれ愛されて育ち愛すべきひとに囲まれているのが自分の偽りないリアルです。
語るに足る痛みをもたない人生で、この作品-地獄の沙汰を描くことは、とてもとても難しかった。
同時に、いましばらく向き合うべき命題であるという確信も得ました。
対義は同義であり、
現世が楽園であり極楽であるからこそ、自分にとってこの世は永遠に荒野であり地獄です。
どんなに愛しても祈っても、なかったことに出来てしまう。この恐怖は、怒りは、空しさは、愛と等しく活力です。
次作、「ドグマンダラ」は久しぶりの長編新作となります。
多大な影響を受けた小説、夢野久作「ドクラ マグラ」と、芥川龍之介「地獄変」をオマージュしたいと考えています。
どのようなコラボレーション・セッションとなるか。どんなに愉しくしんどい現場になるか、ゾワゾワワクワクがとまりません。
寺山修司の力を借りたからこそ描けたものを糧に、
今回は描ききれなかった地獄(極楽)の曼荼羅を、同舟してくれる方たちと共に目撃出来れば幸いです。
日常と劇場が重なる瞬間を、あなたとご一緒できることを祈って。
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